歴史を学ぶことは平和のためになるの?

私たちは学校で歴史を学びます。「昔のことを知るより、今や未来の方が大事じゃないの?」と思う人もいるかもしれません。でも、実は歴史を学ぶことは、未来の平和をつくるためにとても重要なのです。
とはいえ、歴史教育には良い面と悪い面の両方があります。今回は、世界平和という観点から歴史を学ぶことの意味を、わかりやすく考えてみましょう。
歴史教育の「良い面」:過去の失敗から学ぶ
歴史教育の一番の良い面は、「人間は同じ間違いを繰り返してしまう生き物だから、過去から学ぶことでそれを防ごう」とする考え方にあります。
たとえば、第二次世界大戦では、世界中の国が戦争に巻き込まれ、多くの人が命を失いました。その大きな反省から、「もう戦争は二度と起こしてはいけない」という思いが広まりました。
その一例が、ヨーロッパのEU(ヨーロッパ連合)です。昔は戦争ばかりしていたドイツとフランスが、戦争の原因となった「鉄」や「石炭」といった資源を共同で管理することで、争いの火種をなくそうとしました。そして、今では多くのヨーロッパの国々が協力し合い、70年以上も戦争をしていません。これは、歴史の教訓を活かして平和をつくった成功例です。
歴史を学ぶことで、「なぜ争いが起きたのか」「どうすれば防げたのか」を考える力がつきます。こうした力は、将来の平和づくりに必ず役立つのです。
歴史教育の「悪い面」:憎しみが引き継がれることも
でも、歴史教育には悪い面もあります。
たとえば、過去に自分たちの祖先が争ったことを、「あいつらは昔こんなひどいことをした」と何世代にもわたって語り継いでいくと、本来なら何も争う理由がない今の人たちまで、憎しみを抱くようになってしまうことがあります。
その典型的な例が、パレスチナ問題です。パレスチナとイスラエルは、長い歴史の中で土地をめぐる争いを繰り返してきました。もともとはユダヤ人とアラブ人がそれぞれ自分たちの正当性を主張して対立していましたが、その記憶が何世代にもわたって受け継がれ、今の若者たちまで争いに巻き込まれています。
本来、今生きている人たちは、その過去の出来事に直接関わっていないはずです。それでも、「自分たちは被害者だ」「あいつらが悪い」と教えられると、仲直りすることがどんどん難しくなってしまいます。
「記憶すること」と「忘れること」どちらが平和に役立つ?
ここで一つの疑問が生まれます。
「過去の争いのことをずっと覚えているべきなのか?それとも、全部忘れてしまったほうが、今の争いはなくなるんじゃないか?」
どちらの考え方にも、理由があります。
記憶することには、「過去の悲劇を繰り返さないようにする」という大切な意味があります。たとえば、ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)のような出来事を忘れてしまったら、また同じようなことが起こるかもしれません。だから、「二度と繰り返さない」という言葉のもとに、歴史を学び続けることが大切だと考える人が多いのです。
でも一方で、「過去のことを思い出し続けることが、逆に争いの原因になってしまう」という意見もあります。たとえば、「あの人たちは昔こんなことをした」と何度も言い続ければ、それを聞いた若者は相手を憎むようになります。そうすると、今まで仲良くできたはずの人とも、仲良くなれなくなってしまうかもしれません。
つまり、「忘れすぎ」も「覚えすぎ」も、どちらも平和にはよくないのです。
大切なのは「よりよい未来をつくるため」に学ぶこと
では、どうすればいいのでしょうか?
大事なのは、「歴史をどんな目的で学ぶか」ということです。
過去を学ぶのは、誰かを責めるためではありません。未来に同じような争いが起きないようにするために、教訓を学ぶのです。そして、それは「よりよい未来をつくる」ためであって、終わりのない争いを子どもたちに引き継ぐためではありません。
もし歴史の授業が「誰が正しいか」「誰が悪いか」を決めるだけのものなら、それは争いのタネになってしまいます。でも、「どうすれば平和を守れるか」「お互いに理解し合うにはどうすればいいか」を考えるための歴史教育なら、それは未来の希望になります。
おわりに
歴史を学ぶことには、良い面も悪い面もあります。
過去から学ぶことで平和を守ることができる一方で、過去にこだわりすぎると、今も争いが続いてしまうことがあります。
でも、だからといって歴史を無視するのではなく、どうすれば未来に活かせるかを考えながら学ぶことが大切です。
私たちが歴史を学ぶのは、未来をよりよいものにするため。
その気持ちを忘れずに、これからの社会をつくっていきましょう。