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イスラエルとパレスチナはどうしていつも争っているの?

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ニュースでたびたび目にする「イスラエルとパレスチナの争い」。爆撃やロケット攻撃、ガザ地区やヨルダン川西岸での衝突などが起きるたびに、「どうしてこんなにも長く争っているの?」と疑問に思う人も多いでしょう。この対立は、単なる宗教の違いや政治の問題だけでなく、数千年にわたる歴史と、近代の国際政治の影響が複雑に絡み合っています。

「約束の地」パレスチナとは?

イスラエルとパレスチナが争っている土地は、歴史的には「パレスチナ」と呼ばれてきました。この場所は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3つの宗教にとって聖地であり、特にエルサレムという都市はそれぞれの信者にとって非常に重要です。

ユダヤ人の歴史をたどると、旧約聖書に「神がユダヤ人に与えた約束の地」としてこの地が登場します。紀元前1000年ごろにはイスラエル王国が存在し、ダビデ王やソロモン王がこの土地を治めていました。しかしその後、他国に滅ぼされ、多くのユダヤ人は世界各地に散らばることになります(これを「ディアスポラ」と言います)。

一方、7世紀になるとイスラム教がこの地域に広まり、アラブ人(現在のパレスチナ人の祖先)がこの土地に定住していきます。つまりこの地は、ユダヤ人にとってもアラブ人にとっても「歴史的に自分たちの土地」だという主張があるのです。

イギリスの「3枚舌外交」が火種に

現在の対立の大きなきっかけは、20世紀はじめの第一次世界大戦中にイギリスが行った「3枚舌外交」にあります。

当時、この地域はオスマン帝国(現在のトルコが中心の国)が支配していました。イギリスはオスマン帝国と戦う中で、次のような相反する3つの約束をそれぞれの相手と結びました。

  1. アラブ人には独立を約束(フサイン=マクマホン書簡)
  2. フランスとは中東の分割支配を密約(サイクス・ピコ協定)
  3. ユダヤ人にはパレスチナに「民族の郷土」を作ることを支持(バルフォア宣言)

つまりイギリスは、同じ土地についてアラブ人とユダヤ人、そしてフランスに異なることを約束してしまったのです。この「3枚舌外交」が戦後に混乱を引き起こし、パレスチナの帰属をめぐる争いの火種となりました。

イスラエル建国とパレスチナ人の「ナクバ(大惨事)」

第一次世界大戦後、オスマン帝国が崩壊し、イギリスは「パレスチナ」を国際連盟の下で統治することになります。イギリスはバルフォア宣言に基づき、ヨーロッパなどからパレスチナへのユダヤ人移民を支援し始めました。特にナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人が大量に移住してきます。

その一方で、もともと住んでいたアラブ系パレスチナ人は、ユダヤ人移民によって土地を失い、政治的にも影響力を失っていくことに強く反発しました。

そして第二次世界大戦後、1947年に国際連合はパレスチナをユダヤ国家とアラブ国家に分ける「分割案」を提案しました。これにユダヤ人側は賛成、アラブ人側は拒否。結果、1948年にユダヤ人は一方的にイスラエル建国を宣言し、周辺のアラブ諸国と第一次中東戦争が始まりました。

戦争の結果、イスラエルは国連の分割案より広い地域を支配し、約75万人のパレスチナ人が住む家を追われて難民となる事態が起こりました。パレスチナ側はこの出来事を「ナクバ(大惨事)」と呼び、今もなおその記憶と苦しみを引きずっています。

占領と入植、終わらない対立

その後もイスラエルとアラブ諸国の間で複数の戦争が起こりますが、1967年の第三次中東戦争で、イスラエルはヨルダン川西岸・ガザ地区・東エルサレムなどを占領しました。

本来、これらの土地は将来的に「パレスチナ国家」を作るための場所とされていたため、イスラエルの占領は国際的にも問題視されています。さらに、イスラエル政府はこれらの土地に「入植地」と呼ばれるユダヤ人の住宅地をどんどん建設していきました。

このような状況にパレスチナ人の不満は高まり、1987年や2000年には住民蜂起(インティファーダ)が発生。また、パレスチナ内部では穏健派のPLO(パレスチナ解放機構)と、強硬派のハマスが対立するなど、パレスチナ側の政治も混乱しています。

解決への道はあるのか?

国際社会は「二国家共存」、つまり「イスラエル」と「パレスチナ」という二つの国家が共に存在し、平和に暮らせる道を目指してきました。1993年には「オスロ合意」が結ばれ、パレスチナ自治政府が誕生しましたが、その後も問題は山積みです。

エルサレムの帰属、難民の帰還、ユダヤ人入植地の撤去など、重要な争点で折り合いがつかず、和平は実現していません。

2020年代に入っても、ガザでの戦闘や西岸での衝突、相互の報復攻撃が繰り返されており、一般の人々が犠牲になっています。多くの専門家は、「平和には相手の存在を認め合うこと、過去の痛みを乗り越えることが必要だ」と言いますが、それは簡単ではありません。


おわりに

イスラエルとパレスチナの争いは、「どちらが悪いか」という単純な問題ではありません。宗教、民族、歴史、国際政治が絡み合い、どちらの側にも「自分たちの正当な理由」があります。そして、イギリスの3枚舌外交のような外部の影響も、争いを複雑にしてきました。

私たちができるのは、このような複雑な歴史を正しく学び、どちらかの一方的な主張に偏らずに理解することです。平和への第一歩は「知ること」から始まります。

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ずっとピースらぼ|Eternal Peace Lab
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ずっとピースらぼ管理人のわんぞーです。イギリスで平和学を学び、その後国際協力の現場や大学で仕事をしてきました。ずっとピースらぼでは、「優しい」と「易しい」の両方の意味をこめて、「やさしい平和教育」を発信しています。中学生や高校生にもわかりやすい内容を届けることで、いつの日か争いのない社会にできたらいいな、と思っています。 |Eternal Peace Lab shares information about easy-to-understand peace education. By delivering content that students can easily grasp, we hope to one day achieve world peace.
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