国連ってどうやってできたの?

「国際連合(国連)」と聞くと、ニュースでよく目にするけど、そもそもどうやってできたのか、なぜ必要なのかを考えたことはありますか?実はその始まりは、18世紀の哲学者カントの考え方にまでさかのぼるのです。
カントの「永遠平和」のアイデア
1795年、ドイツの哲学者イマヌエル・カントは『永遠平和のために』という論文を書きました。そこでは、「国同士が戦争をやめ、法律に基づいて話し合いで解決する仕組みを作るべきだ」と提案しています。カントは一つの世界政府ではなく、各国が独立性を保ちながら連携し、戦争を回避する「平和の同盟」を作ることを提唱しました。
カントはまた、「国民が戦争に賛成しない限り、戦争は起きにくい」と考え、国民の意志が反映されるような政治制度(つまり民主主義)が平和に役立つと主張しました。
このようなカントの思想は、後の「集団安全保障」や「国際機関」の基礎となり、第一次世界大戦後に登場する「国際連盟」のアイデアにもつながっていきます。
第一次世界大戦と国際連盟
1914年に始まった第一次世界大戦は、当時の人類が経験したことのない大規模な戦争でした。この悲劇を繰り返さないため、アメリカのウィルソン大統領は「十四カ条の平和原則」を発表し、その中で「すべての国が話し合いで問題を解決する国際機関を作ろう」と提案しました。
その結果、1920年に「国際連盟(League of Nations)」が設立されました。本部はスイスのジュネーブに置かれ、軍備縮小や紛争解決、侵略国への制裁などを通して平和を維持しようとしました。しかし、アメリカ自身が加盟しなかったことや、大国の思惑により制裁が実行されなかったことから、十分に機能しませんでした。
たとえば、日本の満州侵略(1931年)やイタリアのエチオピア侵攻(1935年)に対して、国際連盟は有効な行動を取れず、加盟国の脱退も相次ぎました。最終的に1939年、第二次世界大戦が始まり、国際連盟は事実上機能停止となります。
第二次世界大戦と国連の誕生
戦争の最中、各国は「もう一度平和を守るための機関を作ろう」と話し合いを始めます。アメリカ、イギリス、ソ連、中国などは、戦後の世界をどう築くかについて協議し、1945年、サンフランシスコで開かれた会議で「国際連合憲章」が採択されました。そして同年10月24日、正式に「国際連合(United Nations)」が発足したのです。
国連の目的は、①戦争を防ぐこと、②人権を守ること、③国と国との友好関係を築くことなどです。こうした理念には、カントやウィルソンの考えが深く反映されています。
集団安全保障とは?
国連が目指すのは「集団安全保障」という考え方です。これは「誰かが攻撃されたら、みんなで守る」という仕組みです。以前のように「国と国が軍事同盟を組んで均衡を保つ」やり方ではなく、世界全体が一つのチームとして侵略に立ち向かうという考えです。
国連憲章では、「国は勝手に戦争してはいけない」としながら、「侵略を受けた国には自衛権がある」と認めています。また、国連安全保障理事会(安保理)が「これは国際の平和に対する脅威だ」と判断すれば、経済制裁や武力行使といった措置を取ることができます。
国連総会と安全保障理事会の違い
国連にはいくつかの主要な組織がありますが、その中でも大きな役割を果たすのが「国連総会」と「安全保障理事会」です。
- 国連総会:すべての加盟国(現在193か国)が一国一票で話し合いを行う場所です。決定には法的拘束力はありませんが、世界の世論を示す大事な場です。
- 安全保障理事会:国際の平和と安全を守るための決定を下す機関で、15か国(常任理事国5か国+非常任理事国10か国)で構成されます。ここでの決定は法的拘束力を持ちます。
拒否権ってなに? なぜ問題なの?
安全保障理事会の常任理事国(アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国)は「拒否権」を持っています。これは、常任理事国のどれか1か国でも反対すれば、その決議は無効になるという制度です。
もともとは「大国を国連から離脱させないため」に設けられた仕組みでしたが、近年ではロシアによるウクライナ侵攻などの問題で、ロシアが拒否権を使って安保理の行動を阻止していることから、「安保理が機能していない」と批判されています。
おわりに
国連は、戦争の悲劇から生まれた「人類の希望のシステム」です。カントの理想から始まり、ウィルソンの努力、そして世界中の国々の願いが込められたこの仕組みは、完璧ではないものの、今も世界の平和を守るために努力を続けています。
「国連ってどうやってできたの?」という問いには、「人類が争いの歴史から学び、未来に平和をつなげようとした努力の結晶」と答えることができるでしょう。