宗教と科学は矛盾するって本当?

「宗教と科学って、正反対じゃないの?」
そう思っている人は、けっこう多いかもしれません。
科学は「目に見えるもの」「実験で確かめられるもの」をもとに、世界のしくみを明らかにしていきます。
一方で、宗教は「神様」や「信仰」といった、目に見えないものを大切にしています。
この2つは、まったく違う考え方に見えるし、矛盾しているように思えるのも無理はありません。
でも、実はそう単純な話ではありません。
宗教と科学には、それぞれ得意なことと苦手なことがあり、どちらも人間にとって大切なものなんです。
この記事では、「宗教と科学は本当に矛盾しているのか?」というテーマについて、できるだけわかりやすくお話しします。
高学歴の人が宗教にハマることもある?
1995年、日本でオウム真理教という宗教の信者たちが起こした地下鉄サリン事件は、多くの人に大きなショックを与えました。
その理由のひとつが、犯行グループの中に東京大学や早稲田大学など、一流大学を出た理系のエリートたちが多くいたことです。
「こんなに頭のいい人たちが、なぜ怪しい宗教に?」と、当時は大きな話題になりました。
でも、よく調べてみると、彼らが宗教に引かれた理由には、「科学では答えが出せない大きな問い」が関係していました。
たとえば、「なぜ人は生まれてきたのか」「死んだらどうなるのか」など。
どれもとても大事な問いですが、科学では明確な答えが出せません。
つまり、科学だけでは説明できない「意味」や「目的」を、人は宗教に求めることがある。
特に頭のいい人ほど、「世界の真理を知りたい」と強く思い、科学の限界にぶつかったときに宗教に魅力を感じることがあるのかもしれません。
宗教と科学は本当に対立している?
「宗教と科学は敵同士」
そんなイメージを強くしたのが、昔の有名な事件です。
たとえば、地球が太陽のまわりを回っている(地動説)と主張したガリレオ・ガリレイが、宗教裁判にかけられた話があります。
当時のキリスト教会は「地球は宇宙の中心だ(天動説)」と信じていたので、それに反する地動説を広めようとしたガリレオを弾圧しました。
このような歴史から、「宗教=古い考え」「科学=正しい知識」という印象ができあがりました。
でも最近の学者たちは、「宗教と科学はそもそも目的がちがう」と考えています。
科学は「どうやって世界が成り立っているか(仕組み)」を扱い、宗教は「その世界にどんな意味があるのか(価値や目的)」を扱う。
だから、矛盾するどころか、お互いに補い合える存在なんです。
科学には限界がある?
科学はすごい力を持っています。
電気、スマホ、医療、宇宙開発―どれも科学のおかげです。
科学を学べば、宇宙の始まり(ビッグバン)や、地球の成り立ち、生命の進化についても、かなり詳しく知ることができます。
でも、科学にもどうしても答えられない問いがあります。たとえば、
- どうしてこの宇宙が存在しているの?
- そもそも「何もない」状態じゃなくて、なぜ「何か」があるの?
- 人間には本当に「自由な意志」があるの?
- 神様は本当にいるの?
こういった問いは、実験も観察もできません。
このような、「経験では確かめられない問い」を考えるのが「形而上学(けいじじょうがく)」とよばれる哲学の分野です。
たとえば、宇宙が「どのように始まったか」は科学である程度説明されています。
でも、「なぜそもそも宇宙が存在するのか(何もないところからなぜビッグバンが起こったのか)」という問いには、科学では答えられません。
これは、科学ではなく、哲学や宗教の領域なのです。
また、「人間に自由意志はあるのか?」という問題も難しい問いです。
脳のはたらきを調べると、人間が自分の体を動かそうと決めたとき、実は自分の意志よりも先に脳のほうが反応していたという実験結果があります。
つまり、人間は自分の意志で行動しているように“見えるだけ”なのかもしれません。
でも、それをもって「人間に自由なんてない」とは言い切れません。
このテーマも、最終的には「何を信じるか」によって見方が変わってくるのです。
宗教って、非科学的な迷信なの?
「宗教なんて信じるのはバカらしい」
そう思っている人もいるかもしれません。
でも、本当にそうでしょうか?
たしかに、科学のルールで考えると、神様の存在を証明することはできません。
でも逆に、神様がいないことも証明できないのです。
そして、実は科学も「信じること」に支えられています。
たとえば、「自然の法則はいつでもどこでも同じ」という前提がなければ、科学の実験は成り立ちません。
でも、その前提だって、「絶対にそうだ」と証明できるわけではなく、「たぶんそうだろう」と信じているにすぎないのです。
だから、宗教だけが「根拠のない信じること」に頼っているわけではありません。
科学と宗教は、どちらも人間が「世界を理解しよう」とするための道であり、そのアプローチが違うだけなんです。
科学と宗教は「対立」ではなく「補い合い」
ここまで見てきたように、科学と宗教は、違う問題に向き合っているだけで、矛盾しているわけではありません。
科学は、「どうやって世界ができているのか」「どうすれば病気が治るのか」「エネルギーをどう作るか」といった、しくみや方法、事実の世界を扱います。
宗教や哲学は、「人はなぜ生きるのか」「善悪とはなにか」といった、価値や意味、目的の世界を扱います。
科学が「目に見える世界」を解明し、宗教が「目に見えない心の世界」に光を当ててくれる。
だから、科学と宗教は、対立するものではなく、お互いを補い合う存在といえるのです。
実際、歴史には「科学と信仰の両方を大切にした人」がたくさんいます。
たとえば、万有引力を発見したニュートンは、熱心な聖書研究家でもありました。
おわりに
「宗教と科学は矛盾するのか?」
この問いに対して、今の私たちが持つべき答えは、おそらくこうです。
「矛盾しているのではなく、それぞれが大切なことを違う形で教えてくれる」
科学は、世界のしくみを明らかにしてくれます。
でも、人生の意味や、善と悪の判断までは教えてくれません。
そこを支えてくれるのが、宗教や哲学の役割です。
「見えるもの」と「見えないもの」
「証明できるもの」と「信じるもの」
この2つをバランスよく考えることができたとき、
人はもっと深く、豊かに生きられるのではないでしょうか。