人はなぜ争うの? 違う民族同士が争う理由

ニュースで「民族紛争」という言葉を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。アフリカや南アジア、そして世界のさまざまな場所で、同じ国の中に住む違う民族同士が争い、時には大きな内戦になってしまうこともあります。では、そもそも人はなぜ、違う民族の人と争ってしまうのでしょうか?その理由を、歴史や世界の事例から考えてみましょう。
昔からあった民族の違い
人間は、言葉や文化、宗教、見た目など、さまざまな点で「自分たち」と「他の人たち」を区別する傾向があります。この「違い」は、悪いことではなく、世界の多様性を生み出す大切な要素でもあります。
けれど、その違いが「自分たちの方が正しい」「あの人たちはおかしい」といった考えにつながると、対立が生まれる原因になります。
実際に歴史の中でも、宗教や言語、肌の色などを理由に争いが起きたことは何度もあります。ただし、現代に起きている多くの民族紛争は、それだけが原因ではありません。とくにアフリカや南アジアでは、「ヨーロッパの植民地支配」が深く関係しています。
植民地時代に引かれた「国境」が原因?
19世紀から20世紀にかけて、ヨーロッパの国々(イギリス、フランスなど)はアフリカやアジアの広い地域を「植民地」として支配していました。そのとき、現地の人たちの意見を聞かずに、勝手に地図の上で線を引いて国境を決めてしまったのです。
たとえば、アフリカの地図をよく見ると、まっすぐな線の国境がたくさんあります。それは、山や川や人々の暮らしを考えず、ヨーロッパの国々が自分たちの都合で引いた線だからです。
この結果、同じ民族が違う国に分かれてしまったり、逆に全く違う民族が一つの国にまとめられてしまったりしました。そのため、独立後の国々では、「本当は一緒に住んでこなかった人たち」が同じ国で暮らすことになり、対立が生まれやすくなったのです。
「分けて支配する」というやり方
ヨーロッパの国々は、植民地を支配するために「Divide and Rule(分割して統治せよ)」という方法を使いました。これは、あえて現地の人たちをいくつかのグループに分けて、争わせるようにすることで、自分たちへの反抗を防ぐ方法です。
たとえば、イギリスはインドでヒンドゥー教徒とイスラム教徒を分けて扱い、政治の制度も宗教ごとに分けるようにしました。そうすることで、現地の人たちが団結してイギリスに反抗するのを防ごうとしたのです。
アフリカのルワンダでは、ベルギーが少数派のツチ族を優遇し、多数派のフツ族を差別しました。このような差別的な政策は、独立後に大きな怒りと対立を生み、1994年には約100万人が亡くなるという大虐殺につながってしまいました。
独立後も続く「負の遺産」
第二次世界大戦の後、多くの植民地が独立を果たしました。しかし、そのときに使われた国境線や、植民地時代の不平等な制度はそのまま残ってしまいました。
たとえば、ナイジェリアという国は、イギリスによって北と南の地域がひとつの国にまとめられました。北はイスラム教徒が多く、南はキリスト教徒や伝統宗教の人が多く住んでいます。独立後、この違いが原因で内戦が起き、たくさんの人が亡くなりました。
また、インドとパキスタンは、1947年に宗教の違いを理由に別々の国になりましたが、そのときにも多くの人が殺され、今でもカシミール地方をめぐって対立が続いています。
争いをなくすには?
民族が違うからといって、必ず争いになるわけではありません。世界には、多民族が平和に共存している国もたくさんあります。
争いを防ぐためには、
・違いを尊重すること
・過去の歴史をきちんと学ぶこと
・対話の場を作ること
などが大切です。
また、植民地支配という歴史的な背景を知ることで、「なぜこの国では争いが多いのか」「どうすれば平和に近づけるのか」を考えるヒントになります。
おわりに
人と人が争うのは、単に「仲が悪いから」ではなく、長い歴史や政治の流れが関係していることがあります。とくに民族同士の争いは、植民地時代の影響を強く受けているのです。
私たちができることは、そうした背景を学び、違いをお互いに認め合うこと。そして、争いではなく対話によって問題を解決していく方法を考えることです。それが、これからの平和な社会をつくる第一歩になるのではないでしょうか。