人はなぜ争うの? すべての争いは「べき」と「べき」のぶつかりあい

「人と人が争うのは、なぜなんだろう?」
それは、国家間の戦争でも、友だちとのケンカでも、家族とのすれ違いでも、根っこは同じです。
じつは、争いの多くは「こうあるべきだ」という自分の考えが、相手の「こうあるべき」とぶつかることで起こっているのです。
「べき」は誰の中にもある
私たちは日々、「こうするべき」「あの人はこうあるべき」「社会はこう動くべき」「自分はこうあるべき」と思いながら生きています。たとえば、
- 「友だちは、LINEをすぐ返すべき」
- 「親は、もっと自分の話を聞くべき」
- 「あの土地は、この国のものであるべき」
など、こうした「べき」は、自分の価値観や理想をもとに生まれます。でも、当然ながら、他の人もそれぞれ自分の「べき」を持っているので、お互いの「べき」が違うと、ぶつかってしまうのです。
心理学では、このような「理想」と「現実」のズレが、ストレスや怒りの原因になると説明されています。たとえば、「理想の自分」と「今の自分」が全然違うとき、人は強い不安やストレスを感じるのです。
争いが起こるしくみ
ある心理学者は、「人が怒るのは、期待していた『べき』が裏切られたときだ」と言っています。たとえば、「親は自分の努力をわかってくれるべきだ」と思っているのに、親が認めてくれなかったとき、「なんでわかってくれないんだ!」という怒りが湧いてきます。
この怒りは、最初は小さなものかもしれません。でも、お互いが自分の「べき」を強く主張しあって、「相手が間違っている!」と決めつけ始めると、争いはエスカレートしていきます。
世界の戦争も、もとはといえば「自分たちの国の利益が守られるべきだ」「自分たちの文化や宗教が大切にされるべきだ」という考えが、他の国や民族とぶつかることで起きています。
哲学や国際関係の学びから
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、「行きすぎも、足りなさもよくない。ちょうど真ん中が大切だ」と言いました。たとえば、正義感が強すぎても、自分の正しさを押しつけるだけになってしまうかもしれません。逆に、何も言わなければ、問題はそのままになります。大切なのは、バランスをとることです。
また、近代の哲学者カントは、「自分がしたいと思っていることについて、他のすべての人が同じことをしても社会に問題がおきないかどうか考えてみよう」と言いました。つまり、自分の「べき」を絶対視するのではなく、それが他人にも当てはまるかを考えることが大事なのです。
国際政治の世界でも、「力で相手を倒せばいい」という考え方(リアリズム)と、「話し合いや協力で解決しよう」という考え方(リベラリズム)があり、国同士がどうやって争いを避けるかが議論されてきました。
「べき」と「べき」がぶつかったとき、どうする?
では、「べき」と「べき」がぶつかったとき、どうすればよいのでしょうか。
争いを避けるためには、「勝ち負けを決める」ことよりも、「お互いの『べき』をちょっとずつゆるめて、真ん中を探す」ことが大切です。これを心理学では「妥協」や「協調」といいます。
たとえば、ある有名なアンガーマネジメント(怒りのコントロール法)では、こんな方法を紹介しています。
- 怒りを感じたら、まず深呼吸して心を落ち着ける
- 相手を責めるのではなく、「私はこう感じている」と自分の気持ちを伝える
- 相手の立場にも耳を傾けて、「相手にも『べき』がある」と理解しようとする
また、「非暴力コミュニケーション」という方法では、争いを避けるために「共感」や「ニーズ(必要としていること)」に目を向けることを大切にしています。
「正しいか間違っているか」ではなく、「何が必要なのか」に目を向けることで、争いの火種を小さくすることができるのです。
平和とは、「もやもや」を受け入れること
平和というのは、「みんなの考えが同じになること」ではありません。
むしろ、「みんなが違う考えを持っていても、それを否定しないこと」が平和なのだと思います。
「こうあるべき」と強く思いすぎると、相手の考えが受け入れられなくなります。逆に、自分の「べき」も少しゆるめて、「まあ、それもあるかもしれないな」と思えたとき、私たちは争いから少し遠ざかることができるのです。
そして、それは国家レベルでも同じです。国と国が違う「べき」を持っていたとしても、すぐに戦争ではなく、時間をかけて対話を重ね、相手の立場も理解しようと努力することが、平和につながります。
おわりに
人は、自分の「べき」と、他人の「べき」がぶつかったときに争います。でも、その「べき」は絶対じゃありません。お互いが少しずつゆずり合って、もやもや(グレーゾーン)を抱えながらでも一緒にいられる世界――それが本当の意味での平和かもしれません。
争いを減らすために、まずは私たち一人ひとりが、自分の「べき」を見直してみることから始めてみませんか?