葛藤ってなに? それは「自分と自分」の戦い

「葛藤(かっとう)」という言葉を聞いたことがありますか?
たとえば、「勉強しないといけないけど、スマホを見たい…」と思ったとき。あるいは、「本当は謝りたいのに、プライドが邪魔をしてできない」なんてとき。
こうしたあなたの“心の中での迷い”や“ゆれ”こそが、まさに「葛藤」です。
でも、葛藤っていったい何なのでしょうか?
今回は、心理学・平和学・哲学といった学問の視点もまじえながら、「葛藤とはなにか?」「どう向き合えばいいのか?」を、いっしょに考えてみたいと思います。
「葛藤」ってどういう意味?
「葛藤」は、英語では “conflict” といいます。
この言葉は、戦争や紛争など、国と国、人と人の対立を指すときによく使われます。でも実は、「conflict」にはもう一つの意味があります。それは、「心の中での争い」「自分との戦い」です。
私たちは毎日のように、たくさんの選択をしています。
・勉強するか、遊ぶか
・本当の気持ちを伝えるか、黙っているか
・挑戦するか、あきらめるか
こうした選択の中で、自分の中にあるいろいろな思いや価値観がぶつかり合うことがあります。
それが、「葛藤」、つまり「自分と自分との戦い」なのです。
心理学から見る「葛藤」
心理学では、葛藤は「自分の中の違う部分がぶつかり合っている状態」として説明されます。
たとえば、有名な心理学者フロイトは、人の心には三つの部分があると考えました。
それは、「イド(本能的な欲求)」「超自我(道徳やルール)」「自我(その2つを調整する役目)」です。
たとえば、授業中に「寝たい!」と思うのがイド。
「でも、授業中に寝るのはダメだよ」と言うのが超自我。
そのあいだで「うーん、じゃあ、休み時間に少し目を閉じようかな」とバランスをとるのが自我です。
このように、私たちの心の中では、いろんな“声”がぶつかり合っています。
「どっちも自分の気持ち」だからこそ、答えがすぐには出せない。だからこそ、葛藤はつらいのです。
平和学で考える「自分との争い」
「争い」と聞くと、戦争やけんかなど、他人との対立を思い浮かべる人が多いと思います。
でも、「自分の中の争い」、つまり内面的な葛藤も立派な「紛争」です。
非暴力で有名なマハトマ・ガンジーは、「真の平和は、まず自分自身の心の中から始まる」と言いました。
怒りや憎しみにまかせて行動するのではなく、自分の心と向き合い、理解し、コントロールすることが大切だということです。
つまり、平和な世界をつくるには、まず「自分の心の平和」から始めないといけないのです。
哲学で考える「葛藤」とは?
哲学では、昔から「人間とは何か?」「どう生きるべきか?」ということを考えてきました。
その中で、葛藤は「理想と現実のあいだにあるギャップ」として語られることが多いです。
たとえば、古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、「やるべきことはわかっているのに、それができないのが人間だ」と言いました。
頭では「こうすればいい」とわかっていても、感情や欲望がじゃまをして、行動できない。これも立派な「葛藤」です。
また、仏教の考え方では、「人は、心の中の欲望や怒りと戦うことで、平和を得る」とされています。
つまり、自分と向き合い、自分を知り、自分と“うまくやっていく”ことが、幸せにつながるとされているのです。
自分と戦い、そして和解する
ここまでのお話から、葛藤とは「自分と自分とのぶつかり合い」だということがわかってきたと思います。
でも、葛藤は悪いことではありません。
むしろ、「自分は今、どうしたいんだろう?」「自分にとって、本当に大切なことはなんだろう?」と考えるチャンスです。
たとえば、進学か就職、どちらにしようか迷ったとき。
これは、自分の中の価値観や希望がぶつかり合っている状態です。
でも、その中で「自分にとって何が大事か」を考え抜いた経験は、きっとその先の人生に役立つはずです。
葛藤は、自分を成長させる“きっかけ”なのです。
おわりに:葛藤は、生きている証
人は誰でも、葛藤を抱えて生きています。
それは、私たちが理想を持ち、感情を持ち、未来に希望を持っているからこそ生まれるものです。
「争いは他人との間にだけあるものじゃない。自分自身とも争うことがある」
そしてその戦いに向き合い、乗り越え、時には和解することで、私たちは少しずつ大人になっていくのだと思います。
あなたが今、葛藤の中にいるなら、それはあなたが一生懸命生きている証です。
どうかその葛藤を、自分を知るためのチャンスに変えていってくださいね。